第7回北海道人格教育フォーラム(要旨)「新しい道徳教育と授業の実際」
教育の目的は「人格の完成」
「教育の憲法」と言われる教育基本法の第一条〈教育の目的〉には「人格の完成」を目指すと謳われている。「人格の完成」に向かう道標となる〈教育の目標〉には五つの柱が打ち出されているが、「知・徳・体」の中では「徳」の割合が圧倒的に多い。教育基本法の理念を学校教育において具現化する学習指導要領の中で、〈道徳教育の意義〉は、人格の基盤としての道徳性の育成が最初に挙げられている。これまでのことを考えても、道徳教育が教育の根底にあることが納得できる。
道徳教育は戦後、昭和33年の学習指導要領で「道徳の時間(週1時間、年間35時間)」が設定され、すべての教育活動を通じて行うのが道徳教育とされた。
昭和33年以降、およそ10年ごとに5回の改訂を経て、平成27年の改訂で「道徳の時間」が「特別の教科道徳」として教科化された。それまでは、教科外という立場で、副読本で評価のない指導が続けられていた。教科となった道徳科は、教科書の無償給付があり、教師の評価があるということである。
道徳の目標
道徳が教科化された理由は、第一に実質化、量的課題の克服。これまで他の教科の時間に振り替えられることが多かったため、実質の時間(年間35時間)をしっかりと確保する必要があった。第二に道徳授業の質的転換を図ることである。道徳の時間の指導としての1時間の授業の質をしっかり高めることである。第三にいじめ問題に対応するためである。これまでも、いじめ問題に対応する指導は主に道徳の時間が担っていたと思われるが、その指導の成果が見られない実態がある。
道徳科にするにあたって新指導要領では全教育活動を通して行われる道徳教育と道徳の時間の目標を「よりよく生きるための道徳性を養う」に統一した。
そして、道徳の目標を「道徳性を養うために、道徳的諸価値についての理解をもとに、自己を見つめ、物事を多面的、多角的に考え、自己の生き方についての考えを深める学習を通して、道徳的な判断力、心情、実践意欲と態度を育てる」とした。これは道徳の目標であると同時に、1時間の道徳の授業の流れを表している。「目標」を通して「授業の姿」が提示されているのである。
子どもの「心を揺らす」
道徳の授業は、様々な資料を用い、子ども自身が内省(振り返って考える)と対話(議論する)を重視して価値の自覚をし、自分を見つめる時間である。子どもに〈葛藤〉〈困惑〉〈悩み〉〈迷い〉などの道徳的問題を感じさせ、「心を揺らす」ことがポイントになるため、他の教科と同様に問題解決的学習が重要になる。そして、自己内対話や他者との対話により様々な見方や考え方に出会い、自分をより深く見つめ、道徳的価値の自覚を深め、道徳的実践力を身につけていくのである。ことさらに、「多面的」「多角的」という言葉が目につくが、これは「一面的な価値観だけで世の中をよりよく生きていくことはできない。状況をよくとらえて、時には天地上下、前後左右、正反表裏といった多方位からの視点をもって考える、まさに多面的、多角的な議論によってよりよさを選択する生き方が求められる」からである。
評価は、学級担任が授業中の学習状況や子どもの道徳性に係る成長の様子を記述式で行う。その際、「学習する道徳的価値を理解しているか」、「物事を多面的・多角的に考えているか」、「自己の生き方について考えをより深めているか」など主に三つの視点から、ワークシート、発言、表情、ポートフォリオ(ワークシートの蓄積)を通して評価する。
小4の授業から
内容項目「親切、思いやり」を扱った小学4年「心と心のあく手」(文科省『私たちの道徳』)を見る。この資料の生活場面は、「ぼくは下校の途中で、荷物を持ち杖をついて歩くおばあさんに出会い、『荷物を持ちます』と声をかけるが断られる。数日後の暑い日に、再び片方の足が不自由な同じおばあさんに出会う。(途中まで)」である。ここまで読んで、「ぼくはどうしたらよいと思うか」と子どもたちに問う。この発問で問題解決的学習が始まる。子どもたちは登場人物の「ぼく」の立場になって、自分自身の行動の選択肢を考える。 子どもたちから出た選択肢は、「また断られるかもしれないけど勇気を出して声をかける」「声をかけないでそのまま帰る」「声をかけて横をついていく」「だまって後ろからついて行って見守っている」の四点であった。子どもに「ぼくの行動の選択肢」を考えさせ、議論させる中で、「解決策の構想を持っているか」、「立場交換や結果・影響の予測ができているか」、「価値を新たな側面から見ているか」、「主人公を見る視点を変えているか」などで評価する。
中2の授業から
中学2年生の資料「迷惑とは何ぞ」(廣済堂あかつき)は、三浦綾子さんのエッセイ「ナナカマドの街から」からとったもので、内容項目は「社会参画、公共の精神」である。「親は自分の子どもに『人に迷惑をかけない』人間に育ってほしい」という願いをかけている。だから、車いすの少女は人に迷惑をかけないために一歩も家の外に出ない生活を続ける。ある時、友人から『人に迷惑をかけたっていいじゃないか』と言われ悩んだ末、勇気を出して外出する。」という内容である。生徒は、「迷惑をかける生き方」「迷惑をかけない生き方」 「本当の迷惑とは何か」について、内省と対話を通して考え、議論する。一面的にとらえていた「迷惑」を多面的、多角的に考え、議論して「本当の迷惑」とは何かを共有する。この「本当の○○」を追究して本質を手に入れるところが授業の楽しさである。よりよさに向かう答えは常に一つではない生き方を考える道徳科の授業のツボである。
新しい道徳科の授業は、第一に、教科として明確な「指導」と「評価」をする授業であり、第二に「道徳的問題について、考え議論して、心を揺らす」授業であり、第三に「本当の」について哲学して生き方を見出す授業である。
※講演者に加筆していただいています。(令和2年7月11日開催)
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