北海道人格教育ニュース 第13号 2017年12月発行
人格教育研究会(要旨)
「特別の教科 道徳」の課題と今後の展望
(武蔵野大学教授)
道徳の問題は、自己と他者がどのように関わるかということに尽きるのではないかと思います。いじめの増加、高校生の自己肯定感や社会参加への意識が諸外国に比べて低いなどの現状は、自己と他者の関わり方がブレていることから生じているのではないでしょうか。私事ですが今年、天野貞祐の評伝を出版しました。天野は、第3次吉田内閣の文部大臣となり道徳を教科として指導すべきことを主張した人物です。彼は1937年、著書「道理の感覚」の中であらゆる問題の根源は、道徳的なものであると命がけで訴えました。
私は、道徳のキーワードはつながりだと思います。他者との関係性(つながり)を構築するための知恵・方法として正義、勇気、誠実などの道徳的価値・徳目があります。和辻哲郎は、人間をじんかんと呼び間柄(つながり)を重視しました。「人は人の関わりの中で育つ」これは当然のことですが、今の子ども達は他者との関わり方が分からなくなってきています。では、「他者」とは誰のことでしょうか。学習指導要領の指導項目では他者を、自分自身から始まり自然、崇高なものへと同心円的に広げていっていますが、道徳においては自分を見ているもうひとりの自分も他者と捉えることが重要だと考えます。また、今まで指導されてこなかった国家や宗教的なものなど縦軸の道徳も考えなくてはなりません。天野は、「幸福について」という著書の中で「~のために」生きるという自覚の必要性を述べています。
1963年の教育課程審議会の答申の中には、まるで今の道徳教育の状況を説明しているよな個所があり、学校の道徳教育は50年以上も前から形骸化していたと言えます。この度の読売新聞による道徳の教科化に関する世論調査では、89%が教科化に賛成すると答えています。では、なぜ道徳の教科化が必要なのでしょうか。それは道徳教育の学問的な理論体系の構築のためであり、複雑化する教育問題への理論的・実践的対応を強化するなどのためですが、一言でいうならば専門性を持たせるためです。
特別の教科「道徳」の基本構造は、第1に「読み取り道徳」から「考え、議論する道徳」への転換、第2に教科書、指導法と評価の基準を一面的な見方から多面的、多角的な見方へ、また、他人事の見方から自分事の見方へと転換を図り、さらに、情意的側面重視から心情的なものを押さえた上で知識として理解し、実践するという三要素のバランスを重視する方向に転換した上で道徳的諸価値を自覚させること、と整理されます。今までの道徳教育の目標とはその内容が大きく変わりました。指導方法については文科省が3例示していますが、私は小学校、中学校を問わず、読み物教材の登場人物への自我関与が中心の学習をベースにしながら、小学校低学年では道徳行為に関する体験的な学習に比重をおき、学年が進むに従って問題解決的な学習に比重を移して行くのが望ましいと思います。評価は、成長の様子を評価する形成的評価を行いますので、観察と言語分析が大切です。道徳教育の目的は道徳的諸価値を自覚することですが、理解する(知る)と自覚する(わかる)は違います。佐伯啓思は、著書「学問の力」の中で「わかるということは、何か思考のプロセスを自分でもう一度追体験することで、自分の頭で考えること、腑に落ちること」と述べています。道徳では、自分の生き方・あり方を考え、他者とのつながり方を考え議論し、自己と議論(内省)します。「話し合い」も大事ですが「黙り合い」も大事です。
貴会で発行された道徳教材に関連しますが、人は道徳的価値には感動せず、道徳的価値を体現した人物の生き方に憧れ、感動します。自分もこうありたい!が私達の原動力になり、志が生まれ、自分を磨くことにつながります。今後の課題ですが、宗教については教育基本法第15条に尊重されなければならないことが明記されているにもかかわらず、学習指導要領には全く触れられていませんでしたが、この度小学校学習指導要領解説に宗教に関する記述が入りました。宗教的情操は、生命の根源に対する畏敬の念に由来しますが、自分が縦軸と横軸の交差点に存在するという自覚を持たせる必要があります。また、愛国心ですが、今回初めて学習指導要領に「国を愛し」とは、歴史的・文化的な共同体としての我が国を愛し、と大変分かり易く記述されました。道徳の教科化は、~ファーストのような独善的な閉じた社会を指向する現状から多様性を認め合う社会へと世界観・歴史観の転換を図り、道徳教育を改革していく契機になると思います。(平成29年10月15日開催)
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