文献紹介 道徳教育に関する文献から1
道徳の教科化が打ち出されてから、書店では数多くの道徳関連書籍が並んでいる。指導法や教材の工夫などを扱ったものも多い。それはそれでよい面もあるが、従来から日本の道徳教育は寄って立つ骨格が弱いと言われてきた。今回紹介する文献は、西欧や日本に大きな影響を与えてきたものであり、この中に骨格を考えるヒントもあるように思う。
1.E.デュルケム著 麻生 誠/山村 健 訳 「道徳教育論」講談社学術文庫
デュルケムの主張のキーワードは「教育とは若い世代を組織的に社会化することである」に典型的に表れている。その延長線上に道徳教育も捉えられる。私たちも、所属する地域や社会が求める人間像を学校教育が進めていくということにあまり違和感を感じないが、その感覚をより強く打ち出したのがデュルケムと言える。このように、彼の基本的構えは、人間を作るのはその人間が属する社会なのだから、教育とはそもそも社会が自らを更新し続けるための営みなのだという自覚がある。
道徳性とは何かという問いには、3つの要素で応える。
第1の要素は「規律性」。「道徳の領域とは義務の領域であり、義務とは命令された行為である。」我々の道徳性は、この命令に従うことのできる「規律性」だということになる。
第2の要素は「社会集団への愛着」。彼は社会を次のように捉えている。「社会は、その成員の性質とはっきり区別されるところの独特の性質を持ち、個人の人格とは異なる固有の人格をそなえた独自の存在を構成せねばならない。」デュルケムの考えでは、社会あっての個人である。だから個人は、社会に服従しなければならない。したがって、道徳性の第1の要素もまた、「社会集団への愛着」ということになる。
第3の要素は、「意志の自律性」である。これは大変面白い指摘だ。「道徳」とは絶対不可侵のもので、絶対服従しなければならないものなのだが、だからといって、これに盲従せよというのでもない。「道徳」の法則を知り、それが絶対的なものだと知ったうえでの服従は、単なる盲従ではなく、自らそれを選んだ、すなわち「意志の自律性」ということになる。
デュルケムは言う。「自分より劣っている人間」に対しては、まるで自分の強さを誇示しようとするかのように、われわれは暴力を振るってしまいがちだ。しかしそれは、結局その人の弱さなのだ。「自分より劣った者を前にしての忍耐」は、安易に暴力に頼るよりもはるかに大きな努力を要する。頷ける至言ではないだろうか。
(本協議会副会長)
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